【中学受験向け】江戸時代の政治まとめ一覧で重点を覚えよう|中学受験エリート

【中学受験向け】江戸時代の政治まとめ一覧で重点を覚えよう

 

中学受験の社会に歴史は欠かせません。

江戸時代は長く、学習すべき内容がたくさんあります。

 

暗記に時間がかかるかもしれませんが、物語のように覚えるのがおススメです。

今回は江戸時代の政治について要点をキーワード形式でまとめました。

 

江戸時代のはじまりと終わり

 

江戸時代の期間についてのまとめです。

 

1603年江戸幕府がはじまる

徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いに勝利しました。

1603年に征夷大将軍になり、江戸幕府を開いたところから江戸時代がはじまります。

 

1867年大政奉還で江戸幕府は終わる

江戸幕府は徳川将軍のもと約260年間続きました。

最後の将軍は15代徳川慶喜です。1867年に大政奉還がおこなわれ、江戸幕府は消滅しました。

 

江戸幕府の政治~前期~

1603年に江戸幕府が開かれてから、3代将軍徳川家光(1650年頃)までの政治を前期としてまとめました。

 

大阪冬の陣と夏の陣

徳川家は豊臣家を滅ぼそうと2度にわたって大阪城を攻めました。

1度目が1614年の大阪冬の陣、2度目が1615年の大阪夏の陣です。

その結果、1615年に豊臣家は消滅してしまいます。

 

老中・大老・京都所司代

徳川家光によって大名たちを支配する仕組みが完成しました。

主な3つの役職は以下の通りです。

 

・老中…将軍を補佐する
・大老…非常時に老中の上に立つ最高職
・京都所司代…京都や西の地域に住む大名を監視する

 

親藩・譜代・外様大名 江戸幕府では、大名を親藩・譜代・外様大名の3つに分けていました。

目的は大名同士を監視させ、反乱が起きないようにするためです。

 

・親藩…徳川家の親族による藩。江戸の近くや重要拠点地に配置
・譜代…関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた大名。親藩と同様に江戸の近くや重要拠点地に配置
・外様…関ヶ原の戦い以降に徳川家に仕えた大名。江戸から遠い四国や九州に配置

 

参勤交代

大名が1年ごとに江戸と自分の領地を行き来する制度です。

移動に費用が掛かることで大名の経済力をなくすのが狙いでした。

経済力がなくなれば反乱の可能性が減るからです。

 

武家諸法度

1615年に定められた法律です。

幕府が大名を取り締まる目的で定められ、背くと領地を没収されたり、家を取り壊されたりしました。

 

禁中並公家諸法度

幕府が朝廷に対して制定した法律です。

反乱が起きない目的でつくられました。

 

寛永の鎖国令

1639年ポルトガル船の来航を禁止しました。

これによって鎖国が完成したため、寛永の鎖国令といわれています。

 

鎖国とキリスト教禁止

江戸時代の貿易にも大きく関係した鎖国とキリスト教禁止についてのまとめです。

 

鎖国の完成

1639年に徳川家光の寛永の鎖国令によってポルトガル船が来航できなくなりました。

 

中国とオランダのみ貿易続行

鎖国が完成されたものの、中国とオランダのみ貿易は続行されました。

 

キリスト教禁止令

1612年に天領にキリスト教禁止令が発令されます。

1613年には、全国でキリスト教を禁止すると変更されました。

 

島原の乱と天草四郎

1637年にキリスト教弾圧に対して起きた反乱です。

指揮をとったのが天草四郎でした。

反乱の舞台は島原と天草です。

 

絵踏み

島原の乱以降、キリスト教徒の人を見つけるためにキリストの絵が描かれた板を踏ませました。

これを絵踏みといいます。

「踏み絵」は踏ませる板のことを指すので注意しましょう。

 

宗門人別改帳

キリスト教徒でないことを証明させるために、人々をどこかのお寺に所属させる動きがありました。

その記録をつけたのが宗門人別改帳です。

 

江戸幕府の政治~中期~

 

4代将軍徳川家綱(1650年頃)から8代将軍徳川吉宗(1750年頃)までを中期としてまとめました。

 

生類憐みの令

徳川綱吉が発令した動物の殺生を禁ずる法律です。

とくに犬好きであったため、犬を殺した場合は重罪とされました。

このことから、徳川綱吉は「犬公方」とも呼ばれています。

 

新井白石

徳川家宣と徳川家継に仕えた儒学者です。

生類憐みの令を廃止し、儒学に基づく政治改革をおこないました。

 

正徳の治

新井白石がおこなった政治改革のことです。

 

享保の改革

1716年、徳川吉宗が幕府の財政を立て直すためにおこなった政治改革です。

質素倹約をすすめ、公事方御定書・目安箱・上米の制などを実施しました。

 

江戸時代の政治~後期~

 

享保の改革後(1750年頃)から、15代将軍徳川慶喜の大政奉還(1867年)までを後期としてまとめました。

 

田沼意次4つの政策

徳川家治の老中だった田沼意次の経済政策は商業を重んじていました。

 

・株仲間の許可…市場を独占できる株仲間の結成を許可する代わりに税金を徴収
・蝦夷地の開拓…輸出品を増やす目的
・長崎貿易…海産物や銅を輸出して、金や銀を輸入
・印旛沼の干拓…水害を防いで米の収穫量を増加がねらい

 

寛政の改革

松平定信がおこなった大飢餓の後におこなわれた改革です。

倹約を促し、飢餓に備え、学問や風俗の取り締まりが中心でした。

 

寛政異学の禁

寛政の改革の1つで、朱子学以外の学問を聖堂学問所で禁止しました。

 

天保の改革

1841年、水野忠邦によってはじまった政治改革です。

財政の立て直しが主な目的で、倹約令が出ました。

 

開国と倒幕運動のまとめ

 

1854年の開国から1867年の討幕までは大きな出来事が相次いだので、年表でまとめました。

 

1853年:黒船来航 ペリーが率いるアメリカの軍艦が浦賀に来航。

1854年:日米和親条約 再び来航したペリーと日米和親条約を結び、鎖国政策が終了。

1858年:日米修好通商条約 アメリカとの自由な貿易を認めた条約。函館・新潟・神奈川・兵庫・長崎の5つを開港。

1859年:安政の大獄 井伊直弼が日米修好通商条約を結んだことに対して批判した人を処罰した事件。

1860年:桜田門外の変 安政の大獄による弾圧に反対していた浪士によって、江戸城の桜田門付近で井伊直弼が暗殺された事件。

1862年:生麦事件 イギリス人が大名行列の前を馬に乗ったまま横切って殺傷された事件。

1863年:薩英戦争 生麦事件を発端に、イギリスと薩摩が戦った戦争。薩摩が敗北。

1866年:薩長同盟 対立関係にあった薩摩藩と長州藩が、坂本龍馬(土佐藩)の仲立ちによって結んだ同盟。

1867年:大政奉還 討幕の動きが強くなり、徳川慶喜が政権を朝廷に返して江戸幕府は閉幕。

 

まとめ

 

江戸時代は約260年間も続きました。

徳川家によって続いた政治も最後は大政奉還によって朝廷に政権を返すことになります。

 

これは長く続いた封建政治の終了でもあります。

今回は省略しましたが、江戸時代は学問や文化も栄えた時代です。

中学受験に出題される可能性が高いので、あわせて学習しておきましょう。

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