今回は中学受験の社会科目の中でも古墳時代に焦点を当てて解説していきます。
歴史は覚えることが多く、登場する人物も多いため苦手とするお子さんが多い科目です。
さらに、単純な暗記だけでなく、時系列や様々な事柄との関係性を理解しなければ問題を解くことができないので難しいと思います。
そこでこの記事では古墳時代を理解するために、必要な知識をしっかりとまとめてありますので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
古墳時代とは
弥生時代では、日本に米づくりが流入し、大きなムラや、ムラをまとめるようなクニができました。
女王卑弥呼で有名な邪馬台国もこの時代のクニです。
古墳時代は弥生時代の後に大きなまとまりができる時代です。
武力による支配や、農耕に鉄が用いられ、効率よく作物を作ることができるようになった時代でもあります。
他にも、文字や宗教が大陸から伝わるなど、文化的に大きく進歩した日本にとって重要な時代です。
ここからは、中学受験で必要な古墳時代の知識をより詳しく解説していきます。
古墳時代のはじまり
古墳時代は4世紀後半に始まりました。
古墳とは土を盛りあげてつくった墳丘を持った墓のことを表します。
後にも記述しますが、この時代には大規模な古墳が多く作られており、代表的な文化のため時代の名前になりました。
こういった大規模な建築物は豪族が生まれ住民を従わせることができたため、想像を絶する年月と労働力を費やして建造することができました。
そんな古墳時代は7世紀末ごろまでの約400年間と長期にわたって続くのです。
古墳時代の大和政権
古墳時代には、現在の近畿地方、特には奈良県を中心とする一帯に大和政権が誕生しました。
近畿地方の有力な豪族が集まってできた大和政権は、7世紀ごろから存在した天皇の先祖ともされています。
この時代に関する日本の歴史書は現在存在せず、大和政権がいつどのようにして誕生したのかは明確には分かっていません。
しかし4世紀の中盤には、中部地方や西日本を統一し、日本の大半を領土にしました。実際に古墳がそういった地域の各地にまで広がっています。
このように強大な領土を持つ大和政権は、大王と地方豪族を中心とした政治システムを作り上げました。
ここからは大和政権が行った政治政策について詳しく解説していきます。
大和政権の行った政治政策
古墳時代では大和政権が本格的な政治を行いました。
国内政治と、海外への政策の2点に焦点を当てて解説していきます。
①氏姓制度
大王を中心とした大和政権では、氏姓制度という身分制度が使われました。
氏姓制度における「氏」は、豪族ごとの区別をつけるために、朝廷から与えられたものです。
分かりやすく表現すると、豪族ごとに与えられたグループ名といった形です。
「氏」には、様々な名前があり、どんな職業に就くのかが名前ごとに決まっています。
特に有名だったのは、大和政権のお金に関することを担当した蘇我氏や、軍事に関することを担当した大伴氏、
祭事などの神に関することを担当した中臣氏です。
その他としては、部民とよばれる農民や技術民、奴婢という召し使い扱いされる人たちもいました。
一方で氏姓制度における「姓」とは、「氏」のリーダーにつける身分のことです。
この「姓」を持つ豪族は朝廷につかえて働きます。
「姓」には、臣・連・君・別・直・県主・村主など十種類以上の名前がありました。
特に、大王と直接的な関係を持っていた「氏」に与えられていた、「臣」と「連」の「姓」は中央の政治に参加しました。
「臣」を与えられた有名な「氏」には、蘇我などがいます。一方で、「連」を与えられた有名な「氏」には、大伴や、中臣などがいます。
ちなみに蘇我、大伴、中臣の3氏は、のちに権力争いを繰り広げるようになります。
大和政権ではこのような中央政治の仕組みがあった一方で、地方の豪族においても「国造」や「県主」という役職を与え、地方政治を行っていました。
このように大和政権は氏姓制度を用いて、大王と豪族の協力による支配体制を構築していきました。
②大和政権の海外との関係
大和政権は4世紀半ばに朝鮮半島へと侵攻します。
侵攻の理由の1つに、鉄をはじめとする先進技術を取り入れることが挙げられます。
当時の朝鮮半島は、「高句麗」・「百済」・「新羅」という、三つの国による勢力争いが激化していました。
そんな中、高句麗に侵攻された百済は大和政権と手を結び、高句麗に対抗しました。
大和政権は高句麗だけでなく新羅と戦っていたことも記録として残されています。
この記録は、現代の中国にある「広開土王碑」の碑文に残されています。
好太王とは当時の高句麗の王であり、当時の倭軍に対して勝ったことも書かれています。
このように、大和政権は朝鮮半島への進出も目指していました。
他にも大和政権が朝鮮半島へ侵攻した背景には、中国との深い関係があります。
当時の中国の国であった「宋」の歴史書「宋書」の倭国伝には、5世紀に大和政権から使者が送られてきたことも載っています。
「倭の五王」と呼ばれた「讃・珍・済・興・武」が宋に献上品を贈り、朝鮮半島諸国に対する軍事的地位を得ようとしました。
渡来人と文化
ここでは、古墳時代で重要な渡来人と、伝わった文化について解説していきます。
渡来人とは、3世紀から7世紀頃に中国や朝鮮半島をはじめとする大陸から日本に移住した人々のことです。
多くの学者や技術者が日本に渡ってきたことにより、日本に多くの文化や技術が伝わってきました。
渡来人は、鉄製の武器や農具、文字や宗教以外にも、「須恵器」とよばれる土器、金属細工など、様々な新しい技術を伝えています。
ここからは渡来人によってもたらされたこれらの技術を詳しく紹介していきます。
①漢字・文字
5世紀初め頃、百済から漢字で書かれた「論語」が伝わったとされており、日本に初めて文字がもたらされました。
②宗教
先ほど述べた、百済から伝わった「論語」とは、中国の孔子が教祖となる儒教の基本となる書物のことです。
他にも、仏教も渡来人により百済から伝わったとされています。
③技術
渡来人から伝わった技術として代表的なものは、土木技術や農業技術、鉄器の制作技術が挙げられます。
他にも蚕を育てて糸を紡ぐ、養蚕技術も伝来し、糸や布の加工を行うようになりました。
このように多くの技術が伝わったことで、より豊かな生活を送れるようになりました。
④須恵器
大陸から渡来人がもたらしたもので、最も重要なものが「須恵器」です。
須恵器とは、それまでの土器をより丈夫に、使いやすくしたものです。
青っぽい色をしており、堅いという特徴を持っています。
須恵器は新羅から伝わったとされ、古墳時代には、主に祭事や副葬品に用いられたとされています。
主要な古墳
ここでは、古墳時代に多く作られた古墳の説明や、受験で頻出な有名な古墳について説明していきます。
古墳時代には、近畿を中心とする全国のあらゆる場所で古墳が作られました。
古墳とは、当時の王や豪族の墓であり、大きさや形が時代によって異なることが特徴です。
円形で丸い円墳や、四角形の方墳、円墳と方墳が組み合わさった上円下方墳があります。
そして、最も中学受験の問題で頻出する古墳が、前方後円墳です。
前方後円墳は名前のとおり、円墳と方墳が組み合わさった形をしています。
大阪・堺市の大仙古墳は、高さ約35メートル、長さ約480メートル、幅約305メートルもあり、日本最大かつ世界最大級の古墳です。
ちなみに大仙古墳は制作に15年以上かかったと言われており、当時の大和政権が国家として強大な力を持っていたことが分かります。
古墳から見つかったもの
古墳からは当時のことが分かる貴重なものが出土しています。
最も代表的なものが埴輪です。
埴輪とは人や馬などの形をした土でできた焼き物のことで、古墳の周りに多く置かれていました。
埴輪のほかにも、青銅の剣や、武具などの副葬品が一緒にうめられていました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は中学受験における重要単元の古墳時代について詳しく解説しました。
古墳時代には、当時としては新しい国内政治政策や、海外とのつながりが増えた重要な時代であることが分かったと思います。
また、古墳という現代にも残る貴重なものが残された時代でもあります。
文化や生活も大きく発展し、それだけ覚えなければならないものも多いです。
この記事を参考にしっかりと古墳時代を学習してもらえると嬉しいです。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。