中学受験でよく出題される鎌倉時代についてのまとめ|中学受験エリート

中学受験でよく出題される鎌倉時代についてのまとめ

 

社会科という教科は暗記をすれば大丈夫という認識の方も多いでしょう。

しかし、中学受験で出題される歴史の問題はその背景をしっかりと押さえておかないと良い点数を取ることは難しくなってきます。

 

いつどこで誰がどんなことをしたかをしっかりと頭に入れておかないとテストが終わるたびに知識としても忘れてしまうでしょう。

テストのたびに毎回暗記しているのはとても効率が悪いです。

 

そこで今回は、しっかりと知識として残るように、中学受験でよく出題される鎌倉時代について時系列を追いながら詳しく解説していきます。

以下が本記事の内容です。

 

「鎌倉時代とは」

「平家と源氏について」

「鎌倉時代の政治や戦いについて」

 

鎌倉時代といえば、平家と源氏や承久の乱、元寇など押さえておかなければいけない項目がたくさんあります。

しかし、鎌倉時代についてなんとなくは知っているけど、完璧に理解しているという人は多くないでしょう。

 

本記事では鎌倉時代について詳しく解説しているので、受験生のお子さんを持つ親御さんはぜひ、お子さんの勉強指導に役立ててくださいね!

 

鎌倉時代とは

 

鎌倉時代とは守護・地頭 が設置された1185年から1333年までの148年間の時代のことを指します。

少し前までは、源頼朝が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命された1192年が鎌倉幕府の始まりだと言われてきました。

 

実際、「いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせで鎌倉時代の始まりを覚えていた方も多いでしょう。

しかし、現在の教育では源頼朝が平氏を滅ぼした後に、守護・地頭の設置の権利を得た1185年が鎌倉時代の開始だという教えへと変わっています。

 

語呂合わせは「いい箱作ろう鎌倉幕府」ですね。

ちなみに鎌倉時代の名前の由来でもある、鎌倉に幕府が開かれた理由ですが、源頼朝の先祖ゆかりの地であったからだと言われています。

 

それだけでなく鎌倉は、南側は海に面し、他は山に囲まれているなど、敵に攻められにくい土地であったことも鎌倉に幕府が開かれた理由の一つとなっています。

 

鎌倉時代は一言で言うと武士の時代です。

これまで天皇や公家が政治の中心となっていましたが、鎌倉時代から力を持つ武士が政治で世の中を動かしていくことになります。

 

鎌倉時代に起こった出来事

 

鎌倉時代には戦争はもちろん、政治面でもたくさんの出来事が起こりました。

続いては鎌倉時代に起こった出来事を時系列順に見ていきましょう。

 

平氏と源氏

 

時は平安時代、平清盛(たいらのきよもり)が後白河上皇(ごしらかわじょうこう)から律令官制の最高官である太政大臣(だいじょうだいじん)に任命されると、これを機に平氏が政治の実権を握ることとなります。

 

平清盛は娘を天皇の妃にするなどして、政治におけるその地位を確固たるものへとしていきました。

そうすると、政治は平氏の思い描く通りとなり、この状況を良く思わなかった他の皇族や貴族、武士たちの反感を買うこととなるのです。

 

そして1180年、反感を募らせた源頼朝(みなもとのよりとも)を含む各国の武士たちが平氏討伐へと立ち上がります。

 

その後、都を追われた平氏は1185年、源義経(みなもとのよしつね)により滅亡へと追いやられることとなります。

これが現在の山口県下関市である、「壇ノ浦の戦い」です。

 

守護・地頭

 

壇ノ浦の戦いののちに、源頼朝は全国の統治をするために守護と地頭を設置しました。

守護は国ごとに設置され、警察や軍事など治安維持の役割を担いました。

 

地頭は荘園の管理や税の取り立てを主な役割としました。

荘園とは奈良時代から室町時代に発生した貴族などの私有地のことで、地頭はそんな私有地からも税を徴収するために作られたものという理解でいいでしょう。

 

しかし、頼朝が守護・地頭を設置したのにはもう一つ理由があるとされ、それが頼朝の異母弟にあたる義経の居場所を探るためとも言われています。

 

壇ノ浦の戦い後対立していた義経を捕まえるために頼朝が全国に監視の目を置いたというわけですね。

 

源頼朝が征夷大将軍に

 

1192年に源頼朝が蝦夷征討(えぞせいばつ)のための軍隊の総大将という意味である征夷大将軍に任命され、幕府を鎌倉で開いたことから鎌倉幕府が誕生しました。

その後、鎌倉幕府は明治維新まで続く武家政権の礎となりました。

 

武家政権

 

鎌倉幕府はこれまでの公家や天皇を中心とする政治ではなく、武士が中心になって政治を行う武家政権となりました。

鎌倉幕府でトップに立つのが将軍で、その下に執権がいて、そこに武士が仕えるという上下関係です。

 

源頼朝が作り上げた武家政権は、徳川慶喜による大政奉還までの約680年間続けられたと言われています。

鎌倉時代はこの武家政権によってこれまでの社会と大きく変わっていくこととなります。

 

源氏の滅亡

 

1199年52歳という年齢で源頼朝が突然亡くなりました。

その後、子である頼家(よりいえ)、と実朝(さねとも)が次期将軍となりますが、政治の実権を握っていたのは、頼朝の妻である北条政子と父の時政でした。

 

2代目将軍であった頼家は時政と義時に、3代目将軍であった実朝も義時にそそのかされた頼家の息子の公暁(くぎょう)に暗殺されたとされています。

 

このように源氏一族は北条氏一族によって滅ぼされるのでした。

このとき北条時政は執権の地位にいながら、幕府の実権を握っており、この政治体制のことを執権政治(しっけんせいじ)といいます。

 

承久の乱

 

1221年に後鳥羽上皇が北条義時に対して戦いを仕掛けたが、鎌倉幕府の勝利に終わった戦いを承久の乱(じょうきゅうのらん)といいます。

 

後鳥羽上皇が鎌倉幕府によって失われた上皇中心の政治を再び取り戻すべく起こした戦いです。

承久の変や承久合戦ともいいます。

この戦いの結果、敗れた後鳥羽上皇は隠岐の島に島流しにされることとなりました。

 

元寇

 

鎌倉時代中期、北アジアと東アジアを支配していたモンゴル帝国と高麗によって行われた日本侵攻のことを元寇(げんこう)と呼びます。

 

1度目の侵攻(1274年)を文永の役(ぶんえいのえき)、2度目(1281年)の侵攻を弘安の役(こうあんのえき)という風にいいます。

日本は2度の侵攻をなんとか耐え凌ぎましたが、この戦いにより幕府の財政が悪化する一因となりました。

 

また幕府のために戦った武士たちへの扱いも悪く、この事件をきっかけに幕府への不信感が高まっていったのです。

この不信感は拭えることなく、1333年ついに北条氏が倒され、148年間続いてきた鎌倉時代が終わりを迎えました。

 

中学受験でよく出てくる鎌倉時代のまとめ

 

今回は中学受験でよく出題される、鎌倉時代について紹介してきました。

最後に本記事の内容をまとめてみましょう。

 

「鎌倉時代は1185年から1333年までの148年間続いた武家政権の時代」

「1192年に源頼朝が鎌倉に幕府を開き、鎌倉幕府が誕生」

「これまでの天皇や公家による政治から取って代わって、武士による政治「武家政権」が始まる。」

「元寇など幕府の財政を圧迫させる事件が起こり、1333年北条氏が倒れたことをキッカケに鎌倉幕府が終了」

「鎌倉時代は壇ノ浦の戦いで源氏が平氏を倒したことによって始まる」

 

源頼朝や北条氏など、名前は聞いたことがあるけど、なにをやった人かよく知らなかったという人も多いことでしょう。

 

鎌倉時代は中学受験でもよく出題される重要な時代なので、受験を控えているお子さんがいるご家庭はぜひ、本記事の内容を参考にして受験に役立ててくださいね!

 

終わりに

 

中学受験で必ず出題されるのが、歴史の鎌倉時代です。

本格的な武家政治が始まったこの時代では、日本の歴史上で重要な事件や出来事がたくさん存在します。

 

本記事では中学受験でよく出題される鎌倉時代について分かりやすく解説しています。

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